伝統ある陶磁器のふるさと波佐見町観光ガイド
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波佐見焼の歴史

コンプラ瓶(海を渡った波佐見焼)
 長崎だけが外国に開かれた江戸時代、出島から海を渡って東南アジアやヨーロッパへと輸出されたものに酒や醤油がありました。長崎のコンプラ仲間(ポルトガル語のコンプラドールからきた言葉で仲買の意、略字C.P.Dは日本最初の商標)がオランダ東インド会社V.O.Cを通じて輸出したところから通称「コンプラ瓶」と呼ばれ、波佐見の諸窯で大量に生産されました。醤油瓶にはJAPANSCHZOYA(ヤパンセ・ソヤー日本の醤油)、酒瓶には JAPANNSCHZAKY(ヤパンセ・サキー日本の酒)と書かれ、そのどっしりとした独特の形はヨーロッパ人の注文によるものと言われています。 明治7年、233年間続いたコンプラ仲間は解散しましたが、コンプラ瓶の生産は波佐見で大正まで続けられました。
コンプラ瓶





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